私利私欲を追求する資本主義の豚

合法的に儲かればなんでもいいと思ってる欲豚サラリーマンです.家畜と社畜の二足のわらじ履いてます

相場が不調のときは「偉大な投資家ならどうする?」と考えるのも一つの手だ

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どうも、豚まんです。

「画像のおっさん誰やねん?投資家とちゃうやろ」という話は後に置いといて、、、

本日も日本株相場はきつい下げに見舞われて、私のPFはマイナス幅を拡大中です。なんかだらだらと下がり続けそうなので、追加資金の投入はまだまだ先の予定かな。

さて、今日のように相場の調子が悪い時、「投資の偉人なら、どうするだろうか?」と考えてみるのも一つの手だと思います。

私なら投資の手法はウォーレン・バフェトから入ったので、彼の語録を読み返し、バフェットなら何と言うだろうと脳内で想像します。投資初心者の頃はバフェットに関する本を読み漁っていたのですが、米国株と日本株では性質が異なるし、自分が取り入れられるものを取捨選択しているので、いつしか元の出発点から少し離れたところに私の投資スタイルが築かれています。

だからと言って、状況に適応するあまり、バフェットのスタイルから遠く離れすぎてしまえば、本質的なものまで見失う恐れがあります。そうなると心を支えるものがなくなり、いつしか株をあきらめてしまうという結果が待っています。

迷った時こそ自分の原点に立ち戻り、初心者時代に読んだ本を読み返すという方法は極めて有効だと私は考えています。

このアイデア自体、目新しいものではなく、会社でも仕事に行き詰まったときはデキる先輩のことなどを思い浮かべ「彼ならこんなときどうしただろう?」なんて誰しも考えたことがあるのではないでしょうか?先日、読書猿氏が執筆するアイデア大全なる本を読んでいたところ、この手法が収録されており、孟子(アイチャッチ画像)のエピソードが大変面白いものだったので部分的に引用します。

 

私淑(直接教えを受けることはできないが、ある人をひそかに尊敬し、模範として学ぶことは、その対義語である親炙(ある人に親しく接してその感化を受けること)とともに、かの著書『孟子』に登場する言葉であり、思想家孟子の拠って立つ方法論的基礎でもある。

孟子は自らを講師の教えを受け継ぐ者だと考えたが、孔子の死から孟子の誕生までは100年ほどの隔たりがある。彼は孔子の弟子ではないばかりか「公式」の後継者ですらない。ただ孔子の孫でしたちから、孔子の言行を拾い集め、孟子なりにつなぎ合わせただけだとも言える。

(中略)

私淑は、ただその人を師と思い定めれば、今ここから始めることができる。その人が著作や作品を残しているなら繰り返しそれに触れ、伝記や言行録があるならそれも読み込み、そして自らの問題に照らして「彼/彼女なら、どうするだろうか?」となんども考えてみるのだ。

私淑に終わりはない。それは一生をかけて行う営みであり、自分1人では決して至れなかった域にまで自分を高めていく方法である。 

 

いかがでしょう?投資のお手本となる人がもしいるなら、こんな時こそ私淑の取り組みに立ち戻ってみてはどうでしょうか。 

今日はこの辺で。